気取らなくかっこいいこの人大好きです。
もっといろんなこと知りたいです。
犬養 毅昭和7年(1932年)5月15日)は、日本の政治家。立憲政友会第6代総裁。第29代内閣総理大臣。通称は仙次郎。号は木堂。勲一等旭日桐花大綬章。
1次護憲運動では尾崎行雄とともに「憲政の神様」と崇められ、東京朝日新聞の記者だった中野正剛は「咢堂が雄弁は珠玉を盤上に転じ、木堂が演説は霜夜に松籟を聞く」と評した。犬養の演説は理路整然としていて無駄がなく、聞く者の背筋が寒くなるような迫力があったという。その犬養が一旦藩閥政権である寺内内閣への内閣不信任案の共同提出を憲政会(桂に引き抜かれた元国民党議員が所属)に対して呼びかけながら、その審議の場で突如として寺内内閣支持を打ち出して一転して憲政会を糾弾する演説を行って議会を混乱に陥れて衆議院解散に持ち込み、総選挙では孤立した憲政会に大打撃を与えた上で寺内正毅の要請を受けて寺内内閣の臨時外交調査会に入ったため、たちまち「変節漢」の悪罵を浴びた。その落差は大きい。
その後も、山本権兵衛内閣や護憲三派による加藤高明内閣にも閣内協力をした。ただ、これだけで犬養を「変節漢」と呼ぶのはいささか酷かもしれない。犬養は普通選挙の実現をはじめ、経済的軍備論、南方進出論、産業立国論など独自の政策を温めていた。その実現のために、よりましと思われる政権に加わったとも解釈できる。明治の政界で隠然たる影響力を誇っていた山県有朋が「朝野の政治家の中で、自分の許を訪れないのは頭山満と犬養毅だけ」と語ったという話もある。同じように藩閥支配に敵意を抱きながら、原敬は山県に接近し、その力を利用して自らの勢力拡大を図った。一方で犬養はその道をたどらず、ほとんど少数政党に身を置いて苦労を重ねた。
犬養は毒舌でも有名だった。親友の古島一雄は、犬養の毒舌がやたらに政敵を増やすのを見て「ご主人の出掛けに口を慎めと必ず言ってくれ」と夫人に頼んだほどである。これは、意志が強固で悪や卑劣を憎む犬養の性格からくるものからでもあったと思われる。
私生活では全く無欲の人で、細かいことには無頓着だった。嫌いな食べ物が出ても文句を言わず、着せられる着物を黙って着ていた。議会事務局で働く少年が病気になると、自宅に引き取って学校に通わせるなど、困った人を見ると援助の手を差し伸べずにはいられないところもあった。宮崎滔天ら革命派の大陸浪人を援助し、宮崎に頼まれて中国から亡命してきた孫文や蒋介石、インドから亡命してきたラス・ビハリ・ボースらをかくまったこともあった。 宮崎は当初、犬養が大隈重信寄りだったため警戒していたが、自宅で会ってみると、煙草盆片手にヒョロヒョロと出てきて、あぐらをかいて煙草を吸い全く気取らない。宮崎は直感的に「好きな人」と判断したという。ちなみに孫でエッセイストの安藤和津によると、ひどく女好きであったという。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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